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講義No.09584

日蓮の生き方から見る、鎌倉仏教の意外な側面

災害を鎮めるために仏教が盛り上がった鎌倉時代

 日本に仏教という宗教が伝わったのは6世紀半ばと言われています。その仏教が、12~14世紀の鎌倉時代に盛り上がりを見せました。それは、なぜだったのでしょうか?
 日蓮をはじめとする数々の僧侶が活躍した鎌倉時代は、大地震や風水害など自然災害が頻発した時代でした。鎌倉幕府の前半を扱った歴史書の『吾妻鏡』には、地震による地面の液状化現象も記録されています。この時代に年号が頻繁に変わっているのも、災害が多発したことが理由です。災害発生のメカニズムが科学的に解明されていない時代、頻発する災害を鎮めるために改元したり、仏教が盛り上がったのです。

異端扱いされた鎌倉仏教

 たくさんの宗派がありながら災害が起こることに疑問を持った日蓮は、国を治めるための具体的な方法を『立正安国論』として著し、時の最高権力者である北条時頼に提出しました。『立正安国論』では、災害の原因は当時流行していた念仏にあるとしています。念仏とは「南無阿弥陀仏」と唱える行為で、浄土宗や浄土真宗などを指します。念仏を廃止して、日蓮が説く法華経を信じれば災害は鎮まると論じましたが、幕府批判と見なされ流罪となります。
 日蓮だけでなく浄土宗の法然も浄土真宗の親鸞も、鎌倉仏教はそれまでの正統派からすれば「けしからん!」と言われるような異端だったのです。事実、法然も親鸞も流罪にされています。

法華経こそが釈迦の教えという確信

 なぜ日蓮はそこまで自分の教えに自信を持っていたのでしょうか? それは法華経こそが釈迦(しゃか)の教えを正しく受け継いでいるという確信があったからです。信念を曲げることは釈迦の教えを曲げることになると考えたのです。
 法華経は現実的な志向が強く、来世ではなく現世での生き方を重視しました。武士や商人の生き方を肯定して、幸せに生きることが大事と説いたのです。この教えは室町時代になると京の商人たちに受け入れられ、日蓮宗は現在まで受け継がれる宗派となっています。


この学問が向いているかも 日本仏教史

立正大学
仏教学部 宗学科 教授
寺尾 英智 先生

先生の著書
メッセージ

 私はお寺に眠っている古い文化財の調査をしていますが、この調査では先入観を持たないことが大切です。「これはこういうものだろう」と決めつけて物事を見てしまうと、その視点・考え方から離れられなくなってしまいます。
 高校生のうちは機会があればなんでも見るようにしてください。「百聞は一見にしかず」です。私も文化財の調査をはじめた頃は右も左もわかりませんでしたが、経験を重ねる中で徐々に古い文字の解読ができるようになりました。実際に自分の目で見ることで、その経験が後々生きてくるのです。

先生の学問へのきっかけ

 お寺に生まれたため、必然的に将来は僧侶になると考えていました。大学時代は一人前の僧侶になるための修行を続けながら、より深く仏教の本質を学びたいと考え大学院に進みました。ある日、恩師といっしょに日蓮にまつわる文化財調査の現場に行くことになりました。そこでは、一般人ではさわることのできない貴重な物品を見たり触れたりできました。中には日蓮直筆の書もあり、すっかり調査の魅力に取りつかれました。最初は文字すらも読めませんでしたが、文字を必死に記録していくと、ある日なんとなく違いがわかるようになるのです。

先輩たちはどんな仕事に携わっているの?

寺院・僧職/民間企業

大学アイコン
寺尾 英智 先生がいらっしゃる
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 立正大学は、人間・社会・地球をトータルでケアできる人材を育成する8学部15学科を有し、多彩な学問分野において広く深く学ぶことができます。加えて充実したキャリア形成支援により、社会の多方面で活躍する優れた人材を輩出しています。本学は1872年(明治5年)東京・芝に開校の起点となる小教院を設立し、2019年で開校147年を迎えました。品川キャンパスは山手線2駅から徒歩5分の都市型キャンパス、熊谷キャンパスは東京ドーム約8個分の広大な自然環境型キャンパスをもつ、学生数1万人を超える総合大学です。

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