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講義No.06627

畏れられると同時に敬われていた、江戸時代の富士山

大きな被害をもたらした宝永大噴火

 江戸時代に生きていた人々にとって、富士山は非常に特別な存在でした。富士山が最後に噴火したのは1707年の宝永大噴火ですが、江戸でも昼間から真っ暗になるほど大量の火山灰が降り、多数の犠牲者が出ました。こうしたことから、富士山は江戸時代の人々には畏れるべき自然の脅威の象徴とされていました。

作られた小さな富士山

 江戸時代の人々は、富士山を畏れると同時に、すべての生命の発祥の源としてあつく敬ってもいました。富士講と呼ばれる民間信仰が盛んになり、多くの人々が、信仰の対象としての富士山の登山をめざすようになりました。また、「富士塚」という富士山を模した塚が、関東を中心に至るところに作られたのも江戸時代からです。現在のような交通機関のない当時、富士登山は大変な労力をともなう行為でした。そこで富士山にまで登りに行けない人々でも富士講の参詣が気軽にできるように、各地に富士塚が作られたのです。現在の東京にも、品川神社の品川富士や氷川神社の目黒富士など、いくつかの富士塚が残っています。

あらゆる分野で取り込まれた富士山

 江戸時代の文学や美術、工芸などには、富士山をモチーフに取り入れた例が至るところに見られます。葛飾北斎の『富嶽三十六景』や歌川広重の『名所江戸百景』などの浮世絵の連作や、陶芸家の本阿弥光悦による白楽茶碗『不二山』などはその最たるものです。それ以外にも、江戸時代の庶民が日常的に使っていた手ぬぐいや煙草入れ、着物、櫛やかんざし、食器、刀の鍔(つば)に至るまで、富士山を単純化した三角形のデザインは、あらゆる分野で取り込まれていました。
 畏れるべき自然の脅威でありながら、信仰の対象として敬われ、愛されてもいた富士山を、現代の私たちは、日本を象徴する美しい景観という面のみでとらえがちです。江戸時代の人々が持っていた、自然と共存していかなければ生きていけないという自然に対する畏敬の念を、改めて思い起こす必要があるでしょう。

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この学問が向いているかも 日本文学、比較文化、美術史

法政大学
社会学部  教授
田中 優子 先生

メッセージ

 大学は、人生の中でもっとも伸び伸びとあなたの能力を発揮して、楽しんで勉強できる場所です。私は大学に入ってはじめて夢中で勉強し、まさに「水を得た魚」でした。そして、40年後の2014年4月、出身校の総長に就任しました。
 あなたがちょっとでも関心を持った領域を大学で学ぶと、面白くてしょうがないはずです。あなたの関心のある分野の勉強ができる大学に進んで、大学生の間にしかできない勉強を思いっきり楽しみましょう。楽しむことで、あなたの中にある能力が伸びていきますし、大学の先生はその手助けをしてくれます。

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