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講義No.06074

外国語の辞書のない時代にも、長崎には「バイリンガル」が住んでいた

鎖国時代、どうやってオランダ人と話した?

 鎖国時代、長崎だけは、オランダや清(中国)との貿易が許されていました。当時、長崎の出島の日本人たちは、どうやってオランダ人と意志疎通を図っていたのか、疑問に感じたことはありませんか。
 実は長崎には、「オランダ通詞(つうじ)」と呼ばれる世襲制の町役人が住んでいて、通訳を行っていたのです。では、外国語の辞書などなく、海外への渡航も禁じられていた時代、通詞たちはどうやってオランダ語をマスターしたのでしょう。

ポルトガル語でオランダ語を覚えた役人たち

 鎖国開始の半世紀以上前から、長崎にはポルトガル船が来港していました。その時代、ポルトガルが最初に、アジアでの貿易を積極的に拡大していたので、主にポルトガル語が共通言語として用いられるようになります。長崎でも、ポルトガル語が理解できる人たちが現れました。
 その後、江戸幕府はポルトガルとの交易を禁止し、ヨーロッパの貿易国を後から来たオランダだけに絞りますが、ポルトガル語が話せる日本人たちは、ポルトガル語を媒介にしてオランダ語を習得し、やがてオランダ通詞という技能職が誕生したのです。

武力衝突なしに開国できたのは語学力のおかげ

 当初、ポルトガル語とオランダ語を混ぜて使用していた通詞たちですが、オランダの科学書を翻訳できるまでに語学力を伸ばし、オランダ語の辞書が日本全域に流通するようになります。江戸末期、列強諸国が日本に目を向け始めると、通詞たちは英語やロシア語なども習得しようと努力しました。
 日本開国のきっかけとなった、ペリー率いるアメリカ艦隊の来航で、日本側の交渉人となった堀達之助は、オランダ通詞の家に生まれた町役人で、艦隊の通訳に英語で「I can speak Dutch!(オランダ語なら話せる)」と叫んだと伝えられています。その後オランダ語を介して交渉が進みました。幕府の開国が武力衝突に至らなかったのは、通詞たちの語学力のおかげだったと言えるかもしれません。

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この学問が向いているかも 歴史学、政治学

長崎大学
多文化社会学部 多文化社会学科 教授
木村 直樹 先生

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メッセージ

 明治維新以降、オランダ通詞(つうじ)は「通訳」としての役割は終わるのですが、その後も司法の分野などで活躍します。彼らは言語だけでなく、西洋の思考法や文化も吸収していたので、新しい社会の仕組みを作る上で、欠かせない存在だったのです。
 あなたも日々、高校で新しい事柄を学んでいると思います。単に丸暗記するのではなく、学んだ事柄をどんなことに生かせるか、その事柄の背景にはどんな文化があるのかといったことにまで、思いを巡らすようにすると、毎日の勉強がもっともっと楽しくなると思います。

先生の学問へのきっかけ

 1980〜90年代にかけて、世界が大きく変わりました。社会主義諸国の仕組みが限界に達して、急速に国家体制が崩れていきました。当時のドイツは東ドイツと西ドイツに分かれていましたが、国家を分けていたベルリンの壁は壊され、ひとつのドイツとなりました。
 世界の急激な変化を見て、国家の枠組みはどのような歴史的背景からできあがったのか知りたくなりました。日本では、人々がどのようにしてひとつの国と意識するようになっていったのか、そのメカニズムに興味をもち、江戸時代の日本と国外との関係を研究しています。

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 長崎大学は、出島を介した『勉学の地』としての誇りと『進取の精神』を受け継ぐとともに、宗教や科学における非人道的な負の遺産にも学び、人々が『平和』に共存する世界を実現するという積極的な意志の下に教育・研究を行います。そして、蓄積された『知』を時代や価値観を越えて継承し、人類を愛する豊かな心を育て、未来を拓く新しい科学を創造することによって、地域と国際社会の平和的発展に貢献します。

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