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講義No.10866

戸籍の戸(こ)は家族ではない? 古代の民衆を支えた親密圏とは

古代の戸は家族なのか?

 東大寺正倉院に奈良時代の戸籍が残っており、そこに記された人々の年齢、性別、名前などを分析すると、当時の庶民の姿が見えてきます。しかし戸は、必ずしも実際の家族の姿を示しているとは限りません。例えば戸籍を調べてみると、20代や30代の成人の場合、夫婦がともに記載されているケースは非常に少なく、また当時は夫婦別姓であったことがわかります。古代の戸とは何でしょうか。古代の夫婦生活や家族の実際の姿をひもとき、家族と戸の関係やその背景にある当時のジェンダーの問題を考えます。

古代戸籍によって作られた父系家族

 古代戸籍の戸は、一見、男性戸主中心の父系家族のように見えます。しかし、実際の家族は、母と子が同居し別居する夫がそこに通う、母子のきずなが強い小家族でした。戸が父系家族のかたちをとる理由は、戸籍制度が日本にもともとあったものではなく中国から伝わってきたことと関わります。古代中国は、日本と異なる父系家族中心の社会でした。日本が中国の戸籍制度を取り入れたとき、中国の戸をモデルにして家族を疑似的な父系家族にまとめあげたと考えられるのです。国家によって型にはめられた父系家族は平安時代にかけて定着していき、日本の歴史的な家族形態になりました。

家族を超えた親密圏

 古代社会では家族よりも村が意味を持っていました。離婚・再婚が頻繁に繰り返され、家族が流動的であったためです。例えば、奈良時代の村には「ヨチコ」(吾同子)と呼ばれる同世代の仲間集団があり、親密な関係を結んでいました。15~20歳くらいの若者で作られた「ヨチコ」は、春と秋の祭りに合わせ「歌垣(うたがき)」を行っていました。これは結婚相手を見つけるために男女が集団で和歌を詠み合う催しです。『万葉集』には「はないちもんめ」の原型となった歌もあり、意中の相手について「ヨチコ」同士が相談する描写が見られます。
 このような家族を超えた親密圏があったという事実は、単独世帯の増加や社会での孤立など、現代の課題においても参考になると考えられます。


この学問が向いているかも 歴史学

専修大学
文学部 歴史学科 教授
田中 禎昭 先生

先生がめざすSDGs
メッセージ

 歴史学は単に過去を学ぶ分野ではありません。制度や社会が形作られた過程を知れば、現代社会を相対化できるようになります。国家、身分、階級、私有財産、家族などの基盤は古代に成立しました。さらに史料を読み解けば、現在の社会的な問題の起源や、その本質を理解することができます。
 常識だと思われていることに対して、「本当に昔からそうだったのか」と疑問を抱いてほしいです。その疑問や、調査によって明らかになったことが、あなたの生き方を変えるかもしれません。社会形成のヒントにもなる古代の歴史を一緒に学びましょう。

先生の学問へのきっかけ

 小学生の頃は歴史上の人物に興味があり、高校では歴史的な出来事のつながりを意識するようになりました。歴史の大きな流れをとらえたいと思い、大学で歴史学を専攻しました。その後、中世の荘園制について調べていたとき、制度がなぜ作られたのか疑問に思いました。起源を求め、さかのぼってたどり着いたのが古代史です。しかし国が定めた制度だけを調べても、庶民の姿は見えてきません。古代戸籍や『万葉集』などの民衆の声が聞こえてくる史料を分析すれば制度の持つ意味合いが見えてくるのではないかと考え、研究を続けています。

先輩たちはどんな仕事に携わっているの?

学校教諭/国家公務員/地方公務員/観光業/情報通信関係など

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田中 禎昭 先生がいらっしゃる
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 専修大学は、1880年(明治13年)に経済科と法律科からなる専修学校として創立されました。「経済科」は日本初の、また「法律科」は私学で初の高等教育機関でした。2021年に創立142年を迎える、日本でも屈指の伝統を持つ大学です。社会科学、人文科学、総合科学、の3系統、8学部20学科からなる社会人文系総合大学として、「自ら問題を見つけ主体的に解決する知力」と「人間力」、「倫理観」を持った人材を育成しています。まずはオープンキャンパスの大学紹介や模擬授業に参加して、大学の雰囲気を体感してみてください。

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