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講義No.10070

統一されたのは明治から!多様な貨幣が流通していた幕末維新期

多様なお金が流通した幕末維新期

 幕末維新期の日本では、幕府が鋳造した金貨・銀貨・銭貨、明治政府が発行した紙幣、藩ごとの藩札など、さまざまな種類の貨幣が流通していました。これらの貨幣は発行主体だけでなく、計算単位も違います。藩札の中には、両、分(ぶ)、朱(しゅ)の単位を用いた金建てのものもあれば、貫(かん)、匁(もんめ)、分(ふん)の単位を用いた銀建てのものもありました。
 現在使われている円建ては、明治4年(1871)の新貨条例で制定されます。その後、政府と日本銀行が発行する円建ての通貨が全国で統一的に流通することになりました。

銀貨の使用は面倒だった?

 もともと銀貨の単位である貫や匁は重量を表しており、江戸時代の人々は銀貨の重さに応じて取引をしていました。例えば、5貫目の価値を持つ銀貨を有している人が3貫目の支払いをするときは、銀を切断して3貫目の重さにします。
 この方法は、まとまった金額を支払うときには便利ですが、こまごまとした取引では手間がかかります。そのため、銀貨は徐々に変化し、銀建ての銀貨があまり使われなくなる一方、金建ての銀貨も生まれました。

貨幣は使い分けられていた

 多様な貨幣が流通している状況は、不便で混乱しているように見えるでしょう。しかし、実は貨幣ごとに機能があり、使い分けられていました。
 例えば、明治政府が発行した貨幣に、太政官札(だじょうかんさつ)があります。高額なものでは、現在の感覚で数十万円のものもありました。一般には使いにくいものの、商人など高額の取引を行う人々には好まれました。特に、商売をしながら北海道と大阪を行き来していた北前船の船主は、明治初年に太政官札を使っていました。全国で流通可能な貨幣、しかも金や銀に比べ軽量だったので重宝されたようです。一方で、小額紙幣を中心とする藩札は、藩内の日常的な取引に使用されていました。
 このように用途が分れていたため、多様な貨幣が存在していてもあまり混乱はなかったと考えられます。


この学問が向いているかも 経済学、日本史学

東京都立大学(現・首都大学東京)※2020年4月校名変更
経済経営学部 経済経営学科 准教授
小林 延人 先生

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メッセージ

 教科書に書かれた内容を、時には疑うことも大切です。一般常識だとされていることに誤りがあった場合にどう正していくのか、という視点は、高校生のうちから身につけておくといいでしょう。同じテーマについて書かれた本を何冊か読み、内容を比較するのもためになるはずです。
 また、大学にはひとつの学部内にさまざまな分野出身の教員がいて、文系理系を問わずテーマを深く広く見ていくことができます。好きな教科も嫌いな教科もあって当然ですが、必要なことは敬遠せずに勉強し、視野を広げていきましょう。

先生の学問へのきっかけ

 大学で受講した授業が面白く、「この先生から学びたい」と思ったため、指導教員の専門領域である社会経済史を学びました。経済に興味を持ったのは、ゼミで明治大正期の刊行物をもとにレポートを書いたことがきっかけです。図書室で渋沢栄一などが井上馨について回想している談話集を調べると、太政官札という紙幣のことがたくさん書かれていました。高校の授業ではなじみのない単語なのに、「なぜこれほど話題になるのか」と疑問を抱いたことが研究の出発点です。現在も、貨幣の流通に着目し研究を続けています。

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東京都立大学(現・首都大学東京)※2020年4月校名変更に関心を持ったら

 東京都立大学(現首都大学東京)は「大都市における人間社会の理想像の追求」を使命とし、東京都が設置している公立の総合大学です。人文社会学部、法学部、経済経営学部、理学部、都市環境学部、システムデザイン学部、健康福祉学部の7学部23学科で広範な学問領域を網羅。学部、領域を越え自由に学ぶカリキュラムやインターンシップなどの特色あるプログラムや、各分野の高度な専門教育が、充実した環境の中で受けられます。

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