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講義No.07283

なぜ奈良に都があったのか? 歴史の常識を問い直す

都はなぜ日本海側に存在しないのか?

 2000年の歴史をさかのぼっても、日本の「都」は常に太平洋側に近い地域にありました。日本史では、中国大陸からの文化が朝鮮半島を経由して北九州に入り、日本中に広がったとしています。ならば都は北九州や本州の日本海側にあってもいいはずなのに、そんな史実はありません。古代から黒潮に沿った太平洋側の交通が日本海側の交通にもまして重要だったので、都が太平洋側の交通と接していないと国づくりに不便だったからと推測できます。

実は2つの「海」へと通じていた大和国

 では、6世紀になぜ大和国(奈良県)は、内陸の飛鳥地方で都づくりを始めたのでしょう。その謎を解くカギは当時の交通です。太平洋の黒潮に沿った海路はとても危険だったため、迂回ルートが発達しました。北九州から瀬戸内海に入り、和歌山で紀ノ川をさかのぼって内陸を川づたいに伊勢湾に抜け、そこから太平洋に出て関東平野や東北へと達するルートです。大和国は内陸でそのルートに接する極めて重要な位置にあり、しかも日本海側の交通にも便利な場所にあります。琵琶湖という大きく開けた天然の交通路を通れば、大和国から日本海へ抜けるのは比較的容易だったと考えられるのです。

邪馬台国の場所の論争に終止符が?

 大和国と日本海とのつながりは、東大寺の「お水取り」にもみられます。二月堂の井戸から汲み上げる水は、福井県の若狭小浜にある遠敷川(おにゅうがわ)から送られてきます。その風習が1300年も続いていることが、いかに大和国と日本海の絆が深いかを物語っています。
 邪馬台国がどこにあったかの論争は長く続いていますが、『魏志倭人伝』に記された朝鮮半島から邪馬台国への道程が、博多付近から瀬戸内海を進まずに日本海回りだったとすると、日程的にちょうど大和国に行き着き、「邪馬台国=大和国」説が成り立ちます。学問とはこういうもので、常識と思われていることに疑問を持つことから、新たな知見の扉が開かれるのです。


この学問が向いているかも 日本史、史学

奈良女子大学
文学部 人文社会学科 教授
小路田 泰直 先生

メッセージ

 高校時代は与えられた知識をどれだけ吸収できるかが問われますが、大学生になると何もないところから「自力でテーマを見つける力」が問われます。しかもそれを自分で解き明かす、自問自答の能力が大切になるのです。
 「学問の対象からテーマを切り取る感性を磨き」「世の中で自分の感性を維持し」「発展させて鍛える主体性を持ち」、その上で、「世界の最先端の知識を学んで自分のものにする学力を身につけて」こそ、優れた研究や専門家になれるのです。

先生の学問へのきっかけ

 「大和(やまと)の国」について研究する大きなきっかけになったのは、古都、奈良で過ごすうちに、大和っていったいなんだろうという関心が徐々に芽生えてきたことでした。奈良という場所で初めて、自分が所属する環境に応じたテーマを見つけて、ものを考えるということが大事であるとわかったのです。
 以前は西洋から入ってきた優れた学問を翻訳し、日本の社会に応用するのが学問だとみんな思っていましたが、本当の学問は何がそもそもの問題なのか、テーマを自分で切り取る重要性が、奈良の地だからこそ気づけたのかもしれません。

大学アイコン
小路田 泰直 先生がいらっしゃる
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 世界に誇れる文化と歴史に包まれた静かな環境の中で、奈良女子大学は、時代や社会の要請に応え、女性の高等教育機関として、高度な学術研究に基づく教育環境を提供し、自立して社会で活躍できる女性人材を養成しています。

※夢ナビ講義はそれぞれの先生の見解にもとづく講義内容としてご理解ください。

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