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講義No.05934

なぜ鄭和の艦隊はコロンブスほど有名ではないのか

コロンブスよりも早く、大規模だった鄭和の艦隊

 15世紀末以降、ヨーロッパの国々はアジアやアメリカ大陸などを侵略し、多くの植民地を作りました。15・16世紀は、大航海時代と言われます。しかし、世界の海を航海していたのはヨーロッパ人だけではありません。コロンブスのアメリカ大陸「発見」は1492年ですが、その87年前に中国明朝の宦官である鄭和(ていわ)が、大艦隊で航海を行っていました。7回航海して、アフリカにも行きました。当時明朝には、大型船の造船技術、遠距離航海術、もちろん資金力や計画を実行に移す組織力もありました。

歴史に与える影響でコロンブスが勝っていた

 コロンブスと鄭和の艦隊を比べてみると、人数ではコロンブスは100人強であるのに対し、鄭和は3万人弱でした。船の大きさも鄭和は全長120mあり、コロンブスの約4倍でした。ただ、コロンブスが持ち帰った中南米原産のトウモロコシやジャガイモ、ほかにも性病の梅毒は、ヨーロッパを経由して世界に広がりました。これらの食物はヨーロッパで主食になり、18世紀の世界的な人口増加を支えたと言われています。これに対して、鄭和が持ち帰った目新しいものと言えば、アフリカのキリン、シマウマ、ライオンくらいで、その後の歴史に大きな影響を与えるものはありませんでした。

必要に迫られていた欧州、満ち足りていた中国

 鄭和が航海をしていた当時、アジアではすでに活発に交易が行われていました。明朝には、物資はじゅうぶんにあったと言われます。産業革命までは世界の基軸はアジアであり、生活水準もヨーロッパに比べ高かったことがわかっています。これに対してヨーロッパは、海を渡って他国を侵略して食料や原料、市場を得なければ、自国の発展はありませんでした。自国の発展のために、さまざまな新しいものを持ち帰ったコロンブスと物質的に満たされていて新たなものを積極的には求めなかった鄭和の航海の目的の差が、歴史に与えた影響の差となっていると考えられます。

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この学問が向いているかも 東洋史学、文化教養学

福岡大学
人文学部 歴史学科 東洋史 教授
則松 彰文 先生

メッセージ

 コロンブスは、アメリカ大陸原産のいろいろな作物をヨーロッパに持って帰りました。それと同時に、ヨーロッパからアメリカへはインフルエンザや天然痘が、アメリカ大陸からヨーロッパへは性病の梅毒がもたらされ、その後の世界の歴史に大きなインパクトを与えました。他方、コロンブスによるアメリカ大陸「発見」の90年近く前、中国明朝の鄭和艦隊が7回大航海を行いましたが、鄭和が持って帰った品々はその後の歴史に与えた影響は小さなものでした。ヨーロッパと中国の何が違ったのか、そんなことを一緒に考えたいと思っています。

先生の学問へのきっかけ

 高校時代は、歴史、特に世界史と英語が好きでした。大学では、東洋史を選択しました。歴史というのは、文献を読み解く学問です。当時の文献を読んで、自分なりに新しい歴史の姿を発見するところに面白さがあります。東洋史は中国の文献といっても、漢文なので日本人でも当時の文献を読むことができます。また、日本人は、中国人の研究者のようにイデオロギー的な影響が少ないので、自由に研究できるというメリットもあるのです。

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則松 彰文 先生がいらっしゃる
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 福岡大学は、9学部31学科、在学生2万人を有する総合大学です。多くの学生や教職員が行き交う広大なキャンパスは福岡市の南西部に位置し、都心部との交通の便もよく、活気に満ちあふれています。「ワンキャンパス」に全学部が集結しており、総合大学の魅力を生かし、学問・研究および課外活動などにおいて学部間の交流が盛んに行われ、文系・理系だけにとどまらない幅広く多様な視野と知識を得ることが可能な大学です。また、創立から80数年で輩出した卒業生総数は25万人を超え、あらゆる分野で力を発揮しています。

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